2013年12月18日水曜日

リラックスタイムのおとも|お茶いろいろ

インドのお茶といえばマサラチャイ。
日本人の緑茶と同じくらいインド人はよくマサラチャイを飲む。
マサラチャイというのはマサラ(スパイス)が入ったチャイ(紅茶)のミルクティーのことだけど、
「チャイ」でもだいたいマサラチャイのことで通じる。

ちょっと仕事したらチャイ、みたいな感じでジュエリーの工房でも作業してる間に3~4回お茶ブレイクがある。
作業に没頭してて後で飲もう、と思ってると「冷めると美味しくないから今飲みなさい」みたいな感じで
結構しっかりお茶休みを取らされる。

商店街のおじさんもレジを売ったらチャイ、お金を受け取ったらチャイ、お釣りを渡したらチャイ、
商品を袋に入れたらチャイ。。。みたいなこともある。

日本でお客さんに緑茶を出すのとおなじ感覚でこっちでも大体お店とかでタダでチャイを出してくれる。
お店によって入れるスパイスが違うから味が違って面白い。
私は生姜が多めのチャイが好き。

そんな風に私は外でチャイを楽しむのだけれど、家ではあまり飲まない。
理由は砂糖をいっぱい使うチャイを飲み過ぎるのはよくないかな。と思うことと、こっちの牛乳は冷蔵庫に入れて24時間しか持たないので、一人で1パック飲みきれないから。

  緑茶
インドでも緑茶は結構人気。でも砂糖をいっぱい入れて飲むのがインド式。
それからインドの北部、カシミア地方の伝統のお茶「カヴァ」は緑茶にカルダモンやシナモン、
サフランを入れて作る。
日本の緑茶をベースにしても美味しく作れるのでオススメ。

 烏龍茶
中国の烏龍茶のほかにインドの烏龍茶というのも売っている。
インド料理も油を沢山使うので、体が油を吸収しにくいように、
飲む人が増えてるらしい。

 中国茶
レンガみたいに固めてある中国茶。
ワインみたいに熟成させて作るお茶は香りが深い。
それから何倍も抽出できるのが嬉しい。
中国の人は朝、ガラスの瓶にこのお茶をいれて、一日中持ち歩いてお湯を継ぎ足しながら飲むっていうのを
聞いたことがある。
私も家にこもって仕事するときにはそんなスタイル。

 紅茶
うまく入れられると美味しいけど私にとってはお湯の入れ方もミルクの分量も
難しいのがイギリスの紅茶!
イギリス人の友達は本当に入れるのがうまい。
ちなみに紅茶の入れ方(お湯の温度、量など)だけでなく
ビスケットの浸しかたもプロだったりする。
紅茶にビスケットを浸す、時間が短すぎても美味しくないし、ちょっと長いとビスケットが
崩れて紅茶の中に落ちてしまう。
ほんの数秒のテクニックみたいな感じ。

 ホワイトティー
ぬる~いお湯(室温くらい)で入れるホワイトティーは馴染むまで変な感じだったけど、
血圧のバランスを良くしたり、コレステロールを抑えるのにすごくいいらしい。

....でもやっぱり日本の緑茶が一番ホッとするかも....!


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2013年12月16日月曜日

インドで成功している人の共通点|インドの伝統手仕事布ブランドCALICOさん



インドの伝統手仕事布ブランド、CALICOのデザイナー
小林史恵さんと増住有希さんがジャイプールにいらっしゃって
お会いできる機会があった。

CALICOはデリーから発信する、インドの手織産業の持続的発展を支援するブランド。
デリーにアトリエがあるほか、日本でも百貨店の催事などでそのクオリティーの高いプロダクトをみることができる。
(※ウェブサイトの情報は本記事下に掲載)

インドでの豊富な知識と経験と実績に基づいて立ち上げられた本ブランドは
どんどん発展していくのみ、みたいなすっきりした雰囲気をまとっている。
CALICOが日本人、インド人、その他の地域の人達に広く支持されているのは
お二人が「世界的な視点」を持っているからだと思う。

CALICOは「インドで作っています」「日本とは違います」みたいなボーダーをを超えて、
世界中だれでも認める伝統の業や、世界が同じように直面する課題に視線を向けている。
こんなふうにインドで活躍する日本の方々に共通して、「日本の外に居る」という考え方をしていない気がする。

現在世界の手織布の95%以上がインドで生産されており、約430万人の織人さんがそれを支えているといわれますが、近代産業の発展とその賃金差の拡大によって、次代の担い手を失いつつあります。
日本や中国の伝統織物の世界に起きたことと同じことが、この手織物大国のインドでも起きようとしています。
また日本では、大量生産のアパレルがどこへいっても満ち溢れ、その機能性、効率性、安定した品質で、多くの人々に利便をもたらしつつありますが、日本人が日常に着物を着ていたころに触れていたような豊かな手触りを求めようにも、高価な着物や衣装を除いてはなかなかお目にかかることもなく、その欠乏に慣らされてから久しいです。
私たちは、キヤリコに代表される偉大なインドの手織り布の力によって、インドの農村に本来の誇りと持続的な産業発展をもたらしつつ、人々に本来備わっていた布や衣に対する豊かな感性を呼び醒まし、生活を楽しんでもらうための活動をささやかながら続けてまいりたいと思います。
(CALICOホームページより)

日本国内、国外みたいな視点からは過去も今も未来も見えない。

海外で少し過ごした人は皆同じように「外から見ると改めて日本の良さがわかる」と言う。
それは悪いことではないし、時間とお金を使って得られる一つの収穫かも知れない。
でもせっかく時間とお金を使うならもっと大きい収穫を手に入れてほしい。
「"外"から見ると改めて日本の良さがわかる」
その時点ではまだ、海外に居ながら日本の中から世界を見ている。
海外に出かける機会のある人はぜひ「比較」というやり方を忘れて物事を客観的に見る、理解する。
というやり方を身につけて見てほしい。

このやり方を身に着けるととっても良いことに転用できる。
「比較」するのではなく理解する。
日本と他の国を比較するのではなく理解する。
→自分と他人を比較するのではなく理解する。

これは楽しい人生を送る為の必要絶対条件。

しっかりとした基盤のもとに安定したビジネスをインドで展開している二人は
バリバリなのに本当に可愛らしくてほんわかしている。
それは自分と他人を比較したりしていないから。
自分の立ち位置と魅力を知っている2人だから生みだせる、世界にオンリーワンのプロダクトたち。

CALICOのホームページはこちらから。
→ http://calicoindia.jp/

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2013年12月14日土曜日

お気軽プチ瞑想のススメ

瞑想ってどうやるのかわからない。心を無にするって難しそう。

私もそう思っていた。でも別に、心を無にするのだけが瞑想の目的じゃないみたい。
瞑想に特別なルールはなくて、基本的には背筋を伸ばして、目をつぶればOK。

「雑念を捨てよう」とか思わなくて大丈夫。
逆になにか頭に浮かんだら、自由にそれを追いかけても構わない。

朝起きて、15分瞑想に使うだけで1日が劇的に変わる。
というか、場合によっては5分でもいいし、「なんとなくスッキリしたな」くらいに
感じるまでなんとなく座ってるだけでいい。

不思議に焦ってる気持ちとかがなくなって、リラックスして1日を始められる。
毎日忙しくしてると、ついつい自分ができること、一日に出来ることに限りがあることを
忘れてしまう。

ついつい、それほどやりたくないことにほとんどの時間を費やしていることに気づいてない時もある。
ぼんやりと不安で、何が原因かぜんぜんわかんない時がある。

そんな時にこの瞑想が効果絶大。
本当に、騙されたと思って目をつぶって座ってみてほしい。

あぐらをかけなかったらくずした感じで。手の位置は自由だけど親指と人差指で◯を作ってみると
それも適度な緊張感があって面白い。

あとは興味があれば匂い。
私は匂いが大好きだから瞑想するときは一番好きなお香を使っている。



インドのハイブランド、グッドアースのお香(サンダルウッド)と、お香立て。
インドでもジャイプールでは手にはいらないので、デリーに行った時に買ったものを大事に使ってる。

インドのお香は匂いが強いというイメージがあるかもしれないけど、
これは本当に上品。匂いも残らない。
(だからわざわざデリーから買ってきてるんだけど)

それからこのお香立て、世界各地探してみて、これよりいいお香立てのデザインに出会ったことがない。

「ほしいっ!」
となった人はガールズジャイプールのセレクトショップBindi Bindiからどうぞ♪

お香
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2013年12月13日金曜日

寛容度の高い国


おととい11日、デリーのインド最高裁が同性愛者の性交渉を「犯罪行為」とし、
2009年にニューデリーの高等裁判所が示した違憲判断を覆した。
この判決はイギリス植民地時代の約150年も前に制定された刑法の条項を有効としたものだ。

ちょうどジャイプールのゲイ・コミュニティーについてコラムを書きかけていたので
このニュースはタイムリーだった。

書きかけていたコラムではジャイプールのコミュニティーについて紹介し、
たしかにインドでは同性結婚は認められてはいないものの、異性結婚している人たちと比べて
どの程度不利に扱われているかというと、日本ほどではないのではないか、というものだった。

日本と違ってインドでは異性結婚にも自由がないし、扶養家族に特別な手当てがあるわけではないから、
という特殊な理由によるいわば「野放し」なことによって、政府が下手に介入するより個々には平等があると書いていた。
しかしこの判決により判決を受けたカップルが投獄されればやはり失望させられてしまう。

ただ希望を持ちたいのは国民やメディアの反発がものすごいこと。
2日たった今日も新聞は紙面の90%以上この判決に対する抗議の内容でうめつくされている。

新聞はデリーで行われた反対デモの様子を伝え、各大手企業が抗議のポスターを掲載している。
また今回の判決には植民地時代の150年前の条項が使われたというが、
それ以前、インドという国ははたして同性愛者に対し、このような不当な姿勢をとっていたのだろうか、
と歴史的観点から考察し、これはインド的ではないと批判している。

さすがは他宗教の国、インドでメジャーな各宗教の経典を持ち出し、
どの宗教においても神様はそんなこと言ってない、と説明もしている。

イスラム教はどうなの?と思うかもしれない。
ほとんどのイスラム国家では同性愛者の性交渉を「犯罪行為」とした上で
死刑にしている。
しかしインドのイスラム教はもちろん死刑は認めていない。

数多くの宗教を持った人が共存し、それでも大きな問題を起こさず
暮らしている国の人は違う。
インドの人は実体験からも学ぶ事を知っているし、完全にお互いを尊重していると
言いがたい面もありつつ実際にお互い影響を受けているので偏ってない。
こういうところが私が「古い国」が好きな理由でもある。

今回の最高裁の判決に対して、インドに住む一市民として抗議する。
そしてこれはレズビアン、ゲイセクシャル、バイセクシャル、トランスジェンダー
だけの問題ではない。
わたしは今回の件を「少数派」の権利要求の一例として見ている。

同性結婚を認めている国では、ほぼ例外なく男女の平等がもっとも進んでいる。
個人を男とか、女ではなく「個人」として尊重しているからである。
じゃあインドなんて、男女平等とは程遠い国で同性結婚なんて夢のまた夢なんじゃない、
と思うかもしれない。
でもそれにも変化が起こり始めている。
先日行われた州選挙では女性の投票率を上げるための様々な工夫がされ
過去最高の投票率を記録し、それを成果として新聞でも大きく取り扱っている。

インドの人は実体験から学ぶことを知っている。
男女を区別することと差別することは違う。経済状況や人口急増の問題から
教育が十分でなかったころはこの認識がされていなかったけれど
もともと理解されていないわけではない。
「頭で考えればわかるでしょう」ではなく「心に聞いてみればわかるでしょう」
というような感覚で人と人が思いやることを知っている。

交通渋滞がひどいのに牛が道路を塞いでも怒らない、アリも殺さない、めちゃくちゃに見える国。
だけどそれは少数派の意志を尊重し、権利を認めている、「寛容度が高い国」ということでもある。

インドにいると、とても安心した気持ちになる。それはこの「少数派の意志を尊重し、権利を認める」という
国民性にあると思う。
それも無理矢理にやっているわけではない。
こちらも「認められてる」というか「牛と同じ扱いされてるな」という感じ。
でもその押しつけない思いやりは、実は習得が一番難しい。

でもそんな風に、少数派の権利を認めるということは実は多数派の幸せにつながっている。
牛もアリも人も同じ調子でなんとなく大事にされている、寛容度の高い社会はみんなが大事にされていると実感できる。

そんなのはきれいごとで、ひどい目にあっているインド人がたくさんいるだろう、という人のために。
先にも書いたようにそれは教育がないからという理由で引き起こされてる問題で、
逆に言えばこれだけ教育が行き届いてない社会で何とかやっているのは
この少数派を大事にできる思いやりのおかげだということ。

さて、それでは日本の現状はどうだろうか。

日本では、同性結婚など話題にも上がらない。それどころか、結婚していない親から生まれた子供
(非摘出子)の権利が、法的に差別をされている。
教育で「これはいけませんよ」としっかり教える一方、「みんなと同じように」
と少数派を認める気持ちを養うのが難しいのかも。

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2013年12月3日火曜日

サルトルの実存主義



『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』を観て、
サルトルの実存主義についてまた勉強してみた。

サルトルの実存主義で私が共感するのは、現代は自己責任の時代だということ。

人間は自由であるけれども、行動の全部は自己責任で行動するべき。
しかし、他人の人格を尊重した上で行動しましょう、ということ。

自分を大切にするように、他人のことも大切に扱いましょう、ということ。

また人間を大切に扱う行動をとるように勧めている点。
「人間を大切に扱う行動以外は絶対にしてはならない」ということ。

でも現代はそんな事、わざわざ考えなくても思い知らされる。

サルトルが生きた時代のように個人に自由がなく、みんなが各家のしきたりや
社会のしきたりに従わざる負えなかった時代、
サルトルの実存主義は新鮮だったと思う。

また実存主義がもたらす「不安」や「孤独」について、
その時代であればいくらでも逃げ込める家族、社会があった。

サルトルの時代から半世紀以上たった今、
人間は神なき時代の「不安」や「孤独」に耐えられるように進化したのだろうか。

私はそう思わない。

サルトルは「人間はどういったものか、その本質は重要ではない」と言っているけれど、
私は人間は本質的に集団で行動し、集団の中で安心を得られるいきものだと思う。

今は個が重要視され、生涯一人で過ごす人も多い。
いわばサルトルの実存主義が具体化したような現代の日本。

まさにサルトルの言う「自由の刑」に処された、
今の日本が抱えている問題の根本は個々の「不安」や「孤独」だと思う。

ガールズのみなさんどうですか。
夢や情熱のままに生きようとした時、躊躇させられる大きな壁は
「不安になるかも」、「孤独になるかも」
というものが大きいと思う。

それなら逆を探せばいい。

同じビジョンを持った人、同じベクトルを向いている人を探すのは、
インターネットが普及した今日
サルトルの時代よりもずっとやりやすい。

少なくともジャイプールに来てみたいという方はどうぞお問い合わせ下さい。


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